カクヨム/なろう投稿作品についてアレコレ考えるブログ

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数学の世界

ぶっちゃけると私は文系です。 高校でも文系でしたし、大学も外語外文のバリバリの文系。 専攻は言語学なので、統計などが絡む都合上、どちらかというと理系寄りではありましたが。 大学を卒業した頃からずっとモヤモヤしていたものがあります。 というのは、数学と物理について。 自分は小学校~中学校までは、算数・数学は学年トップクラスでした。 親のスパルタにより、小学1年で4年生、4年生には既に数学、 6年生では高校数学まで進んでいました。 親に教えられた勉強は算数と数学だけです。 塾は行きませんでした。(一回短期講習行きましたが、二度と行かんと) おかげで、小学校では円周率なんて最初からπで計算していましたし(最後に3.14掛けた) 中学では授業の内容は全く関係なく、テストは満点かケアレス1個程度が当然でした。 が、高校で基礎解析代数幾何が登場して その瞬間に数学がよくわからなくなりました。 その理由はそれから10年以上不明だったんですが、 要は「何のための数学なのか」が分からなくなってしまったからだったのです。 「高校数学Ⅰ」(今は何て呼ばれてるのか知らない)までは 「数学は問題を解く手段」であって、それ以上でもそれ以下でもない。 いわばパズルに過ぎないものでした。なので、単純に楽しく解ければそれで良かった。 でも、基礎解析や代数幾何って、これつまり「自分の周辺事象」を説明したり、 「未来の周辺事象」を予測したり設計したりする時に使う、 技術のバックボーンですよね。 そこの部分の説明と理解が完全に欠落していた。 だから、難解な数式を見せられても、行列を見せられても それを「解く」ことはできたものの、その意義がよくわからなかった。 数学が嫌いになったわけではないものの、興味が薄れてしまったわけです。 だから、公式や定理以上には踏み込むこともなく今に至る。 当時、反対に興味を持ったのは「言語」で、 「言語」と一くくりにされる機能の、その能力の凄さに自分はワクワクしました。 特に「日本語」の凄さにです。 日本語の凄さに気が付いた要素というのが「英語」で、 英語の組成、仕組み、進化発達を観るにつけ、 比較言語学(と言う言葉は大学で知ったけども)的観点で 日本語のポテンシャルにときめいたものでした。 子どもはまだ2歳ですが、小学校の算数から高校の数学、 或いはもっと先の数学まで一緒に勉強したいなぁと漠然と思っている今日この頃。 数学は科学全ての基礎ですし 数学的観点を持つことで、より論理的な思考を組み立てることが出来る。 直観力は日々育てていくものですが、論理力は理論という背骨を入れないと 確固たる物にはなりません。 いっそ中学の問題集でも買おうかなと漠然と思っていたところ、 書店でこんなのを見つけて衝動買い。 数学を俯瞰した記事が並んでいて、非常に面白いです。 ゼロの始まり、円周率とはなんぞや、三角定理といったおなじみのものから、 「世界で最も美しい数式」「四色地図」といったものまで。 sinθとか久しぶりに見ました。 当時は意味もろくに考えずに 「出された問題を解くためだけの知識」に過ぎなかったものですが、 この本の解説をみて「なるほど、そういうことか!」と理解できたらあら不思議。 自分の中でも吃驚するくらいに十数年前の情報が整理されましたよ、と。 やはり  「それが何故、あるのか」  「何のために作られたのか」  「何に使えるのか」 を理解するというのは、 公式だの関数だのに着手する前にしっかりしておかなきゃならんということですね。 それはどんな学習でも言えることだと思います。 英語だって、「試験のために」やりますというだけでは その試験にしか通用しない。応用が利かない。 勉強ってそこなんだろうなと今になって痛感します。 テストが出来る子、と、要領よく使いこなす子の差は まさにそこなんでしょうね。 子どもに勉強を教える際には、自分の失敗を繰り返させないためにも そこをしっかり説明していかなきゃなるまい、と思ったのでした。 そしてゆくゆくは宇宙飛行士に……。


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